婚活をしようかと考えた話

こんな夢を見た-(黒澤明風に)

父親が帰宅した。

車を停める音がして、しばらくすると歌う声が聞こえて来る。

父親の声と、小さい女の子の声。

近所の子供とじゃれているのかと思い、母親と様子を見に外へ行くと、父親ひとりだった。

 近所から聞こえる女児の声に合わせて、勝手に歌っていたのだ。

母親が僕に言った。

「ああやって、孫と遊んでいる仮体験をしてるのよ。」

ものすごく怖くて、ありえないほど切ない-(ジョナサン・サフラン・フォア風に)

----------------------ユメノハナシハココマデ-----------------------

毎年、誕生日の日にはメールをくれるんですが、お祝いの言葉に「良い人を見つけてください。」と一文添えられている…。

正直、言われると辛いけども、そりゃそうっすよね。

ごく普通に生きてきた人間ならば、大多数が家庭を持ち、子を授かり、孫が見たいと思うのは当たり前である。

ここ最近でこそ、結婚しない人が増え、少子化が進んでも、個人の自由の尊重が(過剰気味に)叫ばれるけれど、両親の世代ではまだまだ違和感のある事だと思う。

祖父母も亡くなり、今や自分の生きる意味は両親のみなので、何とか孝行したい…。

なので、婚活をしてみようかと考え中。

想像するだけでゲロ吐きそうだけっども…。

何か進展あれば、また書くかも。

 

 

【私の沼】Rock沼にハマっているお話

今週のお題が【私の沼】なので、数年来どっぷりと浸かっているRockの沼についてのお話。 

遅筆のせいでお題変わっちゃったけど、そのまま投下ッ!!

Garage Rock Revival(ガレージ・ロック リヴァイヴァル)

00年代の初頭に起きたUS・UKを中心としたムーブメント。
ガレージ・ロックは、曲が短く簡潔でポップさも兼ね備えた、かなり聴きやすいジャンルで、ここで初めてそれぞれの楽器の音や、バンドという形態を意識しました。

お気に入りだったバンドはコチラ。

 

現在この沼からはほぼ離脱。たまーに、爪先をちゃぷっとつけるくらい。

RADIOHEAD(レディオヘッド)

専門学校時代、友人にオススメを尋ねたら、「お前暗いから、これ。」と勧められたのが、RADIOHEAD

最初は全然良さがわからず。

その後数年かけて、ゆっくり沈んでいき、今や完全に沈没。チェックするのは作品やライブはもちろん、メディアへの露出、メンバーそれぞれのソロ活動及び別プロジェクト、果てはネット上に出回る膨大な数のライブ音源まで。

もはや、浮上する気配はない。屍蝋化確定。

Progressive Rock(プログレッシブ・ロック

1960年代後半から70年代にかけて、世界的に蔓延った。

そのジャンルに明確な定義はないが、特徴を強いて挙げれば、

  • 長尺の曲がある
  • 当時最新鋭の機材を使う
  • 多ジャンルの音楽を取り入れる
  • 歌詞が文学的

など。

アルバム一枚を残し消えていったもの、プライベートリリース版などを含めると、キリがない。クオリティの保証はないが、そんな中でも好みドンピシャの作品にぶち当たったりするところが、当時の音楽シーンの恐ろしさ。

もう掘れば掘るほどざっくざく出て来るので、まさに底なし沼。こちらも屍蝋化確定。

あまりにも、漠然としているので代表的なアーティストを紹介。

プログレ四天王

TV番組やCMなどでも、稀に使われているので、聞き覚えのあるものがあるかも。

21st Century Schizoid Man

21st Century Schizoid Man

Echoes

Echoes

最先端のアーティストには目もくれず、過去の音楽シーンを漁る。

同世代に同じ趣味の人間はほぼいない。

生まれる時代を間違えた。

 

でも、世界中にいるであろうRock沼の屍蝋仲間に乾杯。

 

違和感を抱えながら生きる人・村田沙耶香

小説家・村田沙耶香の特集記事を読んだ。

いくつか興味を惹かれる部分があったので、触れてみたい。

村田沙耶香はこんな人

 小説家、エッセイスト。

1979年生まれ、37歳。

作家仲間からは、クレイジー沙耶香と呼ばれている。

代表作に、

'"10人産んだら、1人殺せる。命を奪う者が命を造る「殺人出産システム」によって人口を保つ日本を描く『殺人出産』" 

殺人出産 (講談社文庫)

殺人出産 (講談社文庫)

 

"父と母の〈交尾〉で生まれた主人公・雨音。彼女は朔と結婚し、母親とは違う、セックスのない清潔で無菌な家族をつくったはずだった。

「セックス」も「家族」も、世界から消える……『消滅世界』"

消滅世界

消滅世界

 

などがある。

村田作品に対する感想

Amazon等のレビューを見ていると、「気持ち悪い」というものが、目につく。

だが、面白いことに、同じ「気持ち悪い」という言葉を使った感想でも、どうやら評価は二つに分かれているようである。

それは、読者が感じた「気持ち悪さ」に、二種類あるからだと思う。

一つは、ある種の性的嗜好に対する不快感。極端にわかりやすく言い換えてしまえば、下ネタが嫌いという感覚。

そして二つ目は、その性的嗜好がこの小説の中では、本来とは異なる意味を持って書かれていることに対する違和感である。

その違和感は、どこから来たのか。

 村田沙耶香はこんな人  その2

彼女の発言に、その違和感の一部が垣間見える。

"玩具をねだる兄に、母が「うちは貧乏だから」と叱るのを聞くと、家族というだけで家に住まわせてもらい、ご飯を食べさせてもらい、お菓子を買ってもらうことに良心の呵責を覚えた。"

" みんな、家族だから愛していると言うけど、本当かなって思ってました。道徳の授業やテレビの中にも、見過ごしてはいけないような疑問を感じていました。
そうじゃない真実や正義があるのではって。"

つまり、大多数の人間が当然だと思っているものの裏側を、常に疑っている訳である。

誤解を受けそうなエピソードではあるが、家族との間にトラブルがある訳ではない。

こんな話もある。

"応援してもらって筆が鈍るのは嫌だと親しい人には小説のことは言わずに来たが、母との間に葛藤を抱える娘の話でデビューした時に、勘当を覚悟で「お母さんのことを書いたわけではないよ」とまず母に打ち明けた。"

常識に対する疑念や違和感が、家族や周囲の人間に、どう受け取られるのかも考えているのだと思う。

親しい人には、あえて打ち明けなかったところにも、彼女の優しさや繊細さ、そして防衛本能的なものを感じる。

一方、家族は性描写の多い末っ子の作品から、早々に撤退したらしいが、これも何とも言えない距離を生んでいる気がする。

彼女自身が、家族に読まれる事(=自分の一面を理解される事)を望んでいればの話だが。

そして、初めて両親を招いた芥川賞受賞式で、「人類を裏切るような言葉を探したい」と誓った。

野心と憎しみとが綯い交ぜになった宣戦布告のようだ。

 自己防衛のための執筆

 そんな彼女も、学生時代の一時期は、周囲の人たちの影響により、明るい少女だった事もあるようだが、結局は上手くいかなかった。

"同調圧力に迎合してしまう自分を激しく嫌悪し、「消えてしまいたい」衝動に襲われ続けた。この世界との融和感はなく、話を聞いてくれる大人を求めてテレクラに電話をかけ、「完全自殺マニュアル」を読みふけって、卒業式の1週間後に山で凍死すると決めてカレンダーに書き込んだ。"

幸いにも、この計画が実行される事はなかった。

彼女を救ったのは、物語を書く という行為だったらしい。

物語を書く過程で、自身の内面やいじめの当事者の心情を分析して、傷ついた心を回復させる方法を覚えたそうだ。

最後に

違和感を持ち、苦しんで来た村田沙耶香は書き続ける事で、自分を守り生き続けてきた。

同じように、社会にうまく馴染めない者として、どう自分自身や周囲と折り合いをつけるかという、一つの方法を知ることが出来た。

それを自分のものに出来るかは分からないが、とりあえず、ブログで何かしら書いていくことのモチベーションにしたいと思う。

OK COMPUTER 20th Anniversaryに際して思う事

RADIOHEADが、3rd Album「OK COMPUTER」の20周年を記念して、特別盤をリリースすると発表した。

ファンは、多いに沸いている。

 

幻の名曲を遂に公式リリース

今回、20年の時を経て漸くリリースされる事になった「Lift」「Man of War」「I Promise」は、2nd Album「The Bends」のTourで演奏され、次作に収録されると噂されていた曲である。

中でも「Lift」は、ファンの間でも、当時から人気が高くリードトラックになるだろうと推測されていた。

しかし、その予想に反して、結局は20年間も"冷たい倉庫の食器棚"に置かれたままになっていたのである。

 

RADIOHEAD史における未発表曲という存在

未発表曲と言うのは、彼らの歴史において珍しいものではない。

新曲を作ると、ライブでの演奏を重ね、完成に向けて練っていくのが、彼らの主なスタイルで、当然そのままレコーディングされる事なく、未だ日の目を見ていない作品もある。

それでも、彼らは何度もそれらにトライし、納得のいく形に仕上げ、リリースしてきている。

例を挙げると、'01年の4th Album「Kid A」収録の「Motion Picture Soundtrack」は、95年に既に披露されていたし、'08年の7th Album「In Rainbows」収録の「Nude」は、98年には演奏されていた。

 そして、「Lift」も昨年リリースされた9th Album「A Moon Shaped Pool」に向け、再度トライされていた様である。

 

今、「Lift」が公式にリリースされるという事

先日、英国のラジオ番組で放送されたインタビューで、ギタリストであるエド・オブライエンは「Lift」が何故「OK COMPUTER」に収録されなかったのかについて、こんな風に話している(と思う)。

"「Lift」はとても面白い曲で、ライブで演奏した時、観客の熱狂は伝染していく様だった。もし、僕らがそれを正しい形で完成させていたならば、レコードは更に売れ、今とは違った場所に導いてくれただろう。そして、そうなれば僕たちは終わっていたと思う。

それほどの高いポテンシャルを持った曲を、スタジオでレコーディングしようとした時、まるで頭に銃を突きつけられている様なプレッシャーを感じたんだ。

だから、僕らはその曲を無意識のうちに台無しにしたんだ。"

何故それ程までの曲を、20年前にレコーディングしたエド曰く"かなり良い"バージョンで、リリースするのか。

それは、彼らがそれらの曲に見切りをつけた、もしくは諦めたという事ではないかと思う。

"ギターロックバンド"であった当時の彼らが作った曲を、それ以降に様々な楽器を取り入れ変化してきた現在の彼らでは、当時以上に納得のいく形に仕上げる事は出来ないのではないだろうか。

そして、それが意味するのは…。

RADIOHEADの終わり

4th Album「Kid A」の頃から、既にメンバー全員で作り上げていないのではないかという疑惑はあった。

8th Album「The King Of Limbs」以降は、ファンの間でも、中心人物のトム・ヨークジョニー・グリーンウッド以外のメンバーの存在感の薄さが、冗談半分とは言え、語られていたほどだ。

今回彼らが、当時レコーディングした未発表曲を、「おまけ」として発表する事を選択したのには、バンドとして、ある種の終わりを感じざるを得ない。

一度は、RADIOHEADという大きくなりすぎた存在と、どうにかして折り合いをつけた彼らだが、次に向かい合うことになった時、再びそれに勝ちうる気力がメンバー全員に残っているのか、いささか不安である。

 

 

 

近くへ行きたい

GWですね。

僕は、2連休と3連休のセパレート型です。

めんどい。まとまって休み欲しい。

 

でも、まあ折角の稀な連休なんで、何かしようかと思いましてね。

ひとり旅ってのもいいな。

けど、めんどい。

好きな音楽を聴きながら、初めての景色を堪能したりするのも、いいなぁ。

けど、めんどい。

遠くへ行きたい。

けど、めんどい。

と言うわけで、近くへ行きたい。

 

玄関

 なんとも言えない乳白色の扉を開けると、狭い三和土がある。

そして、すぐ右に洗濯機がある。

これは、大阪に出てきた約8年前に購入したもので、前の住居ではベランダに設置していた為、カバーに覆われていなかった蓋の部分だけは日焼けして、こちらも乳白色になっている。

土や埃が数㍉堆積していたが、一念発起し挑んだ去年の大掃除で、何とか除去されている。

 

そして、その洗濯機にもたれかかる様に、3本の傘がある。

2本はよくある透明のビニール傘、もう1本は元カノの置き土産のヒョウ柄である。

ちなみに3本とも、傘としての性能は40%位まで低下している。

捨てよう捨てようと思って、5年ほど経つが、何ゴミに出せば良いのか調べないまま、今に至っている。

 

台所

特に変わったところはナシ。

冷蔵・冷凍庫

最近、近所の業務スーパーに行く度に、冷凍のブロッコリーとほうれん草を買ってしまうので、今ともに3袋ずつ在庫がある。

ちなみに、僕は三食自炊である。仕事の日はきちんと弁当を作っている。我ながら偉い。と言うか、外食が嫌いだ。

衣装掛け

廊下のコーナーにあたるスペースに、衣装掛けを置いてある。今シーズンは役目を終えたライダースジャケット、スーツと喪服が掛かっている。ちなみに仕事柄スーツは2年に1度着るかどうかで、ここ数年で言うと喪服の方が頻度が高い。

本棚

コーナーを右に90度曲がると、右手に本棚がある。中は小説と漫画が半々である。

漫画は主に、ジョジョの奇妙な冒険

小説は星新一筒井康隆安部公房アーサー・C・クラークなどSFが目立つ。

収納

廊下の奥には、古い引き戸の収納がある。

電化製品の空箱や、視聴頻度の低いDVDなどがある。

その中でひときわ目立つのは、寝袋だ。

高校を卒業して、上京する際に買った様な気がするが、使用したのは1度きりである。布団が届くまでの数日をしのいだ。

もう使う事はないと思うが、なぜか捨てられない。

寝室

我が家へ帰ってきた。落ち着くなぁ。

 

 

説明は省いたが、きちんと風呂トイレあり〼

 

明日からの3連休は帰省します。

 

 

鑑賞の仕方

こんなニュースがあった。

 

アイドルのライブでファンがかけ声を出す「オタ芸」のせいで演奏が聞こえなかったとして、観客の男性が主催者側に約100万円の損害賠償やライブのやり直しを求めた訴訟があり、大阪高裁は27日、訴えを退けた1審判決を支持し、男性の控訴を棄却した。田中敦裁判長は「音楽鑑賞の仕方はさまざまで、観客のかけ声は雰囲気を高揚させる側面もある」と指摘した。

 

アイドルのコンサートに行った事はないので、「オタ芸」なるものを、間近で見た事はないが、音楽鑑賞の仕方に関しては、原告男性と同じ様な心持ちである。

 

今までに幾度か、ライブや所謂夏フェスに行っているが、そこで似た様な経験がある。

ライブと言うのは、その瞬間しか見られない聴けないものである。

だから、それを遮るような行為であるモッシュやダイブなどはもってのほかだし、(気持ちは大いにわかるが)大声で歌う事や、手拍子も本当はやめて欲しいと思う。

 

でも、同じ金額を払ってその場にいるわけだし、そこに求めるものが各々違うのはわかっているから、我慢する。

もし、ライブに行ってウェーイ!!とか盛り上がってる人たちが、これを読んでいたら、少しだけでもこういう人種がいることも、心に留めておいて欲しい。

盛り上がるだけが、楽しむという事ではない。

 

ただ、数年前一度だけ手拍子をしてしまった事がある。

それは、アイスランドのポストロックバンSigur Rosのライブに行った時で、彼らがHoppipollaという曲を演奏したのだが、その時の会場全体を包む幸福感にあてられてしまった。

 一つ前の座席に、同世代くらいのカップルがいたのだが、曲のイントロが鳴った瞬間、彼女が彼氏の方を見て、嬉しそうに飛び跳ねていた。おそらく、彼女のお気に入りの曲だったのだろう。

彼氏の方は、彼女に連れられて来たような感じで、あまり反応は良くなかったが。笑

それを見て、複雑な気持ちを抱えながら、手拍子をした事を、未だに覚えている。

 

 

北朝鮮界隈が緊迫している

ここ連日連夜、ニュースで報道されるので嫌でも耳に入ってくる北朝鮮関連のニュース。

 

ついに今日は、小松左京の名作よろしく、日本列島沈没宣言までしたそうな。

もう、すごい体を張った全世界に対するボケなんじゃないかと思えてくる。

 

確か、以前に、イギリスだかのメディアが、「北朝鮮が太陽に有人ロケットの着陸に成功したと発表した」みたいな、さすがの冗談かましてた気がするが、アレに乗っかった高度な自虐ネタなんじゃなかろうかという気もしてくる。

わかってる。比喩だよね、比喩。

 

慎ましく生活してる市民からすると、何で君たちお互い仲良くできないの!!と、当然ながら思ってしまうが、育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めないんだろう。

 

トランプにしたって、金正恩にしたって、一国のトップなんだから、全面戦争になるような事態は回避してくれると信じたいが、古い阪神ファン並みにおらいてまえ的に暴走しないとも言い切れない。

 

twitterでも、もちろんトレンドに上がり、たくさんの人が不安がっている。

中には、「日本人は危機感が足りないよ!」なんて、誰に対してか怒っている人もいる。

 

言いたいことはわかる。

僕も不安さ。

けれども、だからって何をすればいいのかね?

水や食料を買いあさり、仕事を辞め、ミサイルが飛んでこなさそうな田舎に疎開し、核シェルターに身を潜めれば、危機感を持っている認定が頂けるのだろうか。

憤ってる本人ですら、そう言いながら以前と変わらず、職場や学校に通い、友人や恋人と外出し、スマホをぽちぽちしているんだろうし。

 

もちろん、僕も何もしていない。

仕事はやめないし、休みの日はひたすら一人で映画を見たりして、だらだらと変わらぬ無駄な人生を過ごしている。

でも、やはり心の奥底に不安が、澱のように堆積している。

ジムに行って運動するかと思うが、ミサイルが飛んできて木っ端微塵になるなら、腹の肉を多少減らしたところで何になるという気持ちが湧き上がる。

そんな感じで、北朝鮮関連のニュースは、確実に精神に暗い影を落としているわけだ。

 

とあるCMで、中田氏は「無駄な事は、分からない事に対して悩む事」というような事を仰っていたが、なかなかその境地に至るのは、今の自分には難しそうである。