俺 vs 便器

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※下品な話でも、不潔な話でもないので、ご安心ください。

 

 女性の方は、あまり馴染みがないと思うんですけど、男性用トイレには小便器っていうのがあります。

あれって、一昔前まで正面にあるボタンを押すと水を流れるのが、多かったと思うんです。

けれど、最近はよっぽど古いところじゃない限り、センサーがついてて、正面から離れると自動で水が流れるやつが設置されてますよね。

あれ、定期的に水流れるの知ってます?

それに関して、注意書きのシールが貼ってるんです。その内容がコチラ。 

(男性用トイレで小便器を撮影するシャープな変態になりなくなかったので、暗記した)

人がいなくても、水が流れることがあります。

臭いや排水管のつまりを予防するための「設備保護洗浄」です。

お分かりになっただろうか…

こいつ、煽ってきやがる…!

個室で用を足している時に、誰もいなかったはずなのに、小便器から水の流れる音がしてドキッとする。

なぜか昔から、ひとけの絶えた休日のオフィスビルとの縁が濃ゆい僕は、幾度かそんな経験があるわけです。

そこにこの注意書き…。

「ヤダナァ。そんなにビビらなくても」と、半笑いで言うT◯T◯社員の顔が、チラつく。

(TOTO製の便器かは知らんけど)

 

あと、センサー式の電灯ね。

あれも便利なもので、一定時間経過してもセンサーに反応がないと、自動消灯する。

またしても、個室で身じろぎもせず一心不乱に用を足していた僕は、一瞬動揺するわけです。

今まさに、人が入ってきて、電灯が消えていたにも関わらず、個室が使用中であると知られたら、どう思われるのか。

「こいつ暗い中で何やってんだ」と訝しがられるかもしれないし、「人いたのかよ、こえー」と、お互いにとって、無用の辱めを受けるかもしれない。

母親は、センサー式の電灯があるとはつゆ知らず、いきなりの消灯を誰かのイタズラと誤解して、「ちょっとー、電気消さないでよ」と懸命に呼びかけたらしい。可哀想じゃないか。

ついでに、自動開閉する便器の蓋ァッ!

噛みつかれそうで、なんか怖い!!

 あと、ウォシュレットォッ!

お前はいいやつだァ!

 

何でもかんでも自動にすれば、良いというものじゃない。

便利な便所は、人間をダメにするのである。

温い便器にあぐらをかいている人類のぐうたらさに、警鐘を鳴らしたい。

 

「ドリーム」邦題変更騒動

9月29日公開予定の「ドリーム 私たちのアポロ計画(原題:Hidden Figures)」が、「ドリーム」へと改題される事になった。

羊頭狗肉か、嘘も方便か

記事によれば、改題する事になった原因はファンからの、「内容に即していない」などの批判だそうだ。

Amazonによると、原作書籍の発売日は、2016年の9月6日となっている。
また、アメリカでの劇場公開は同年の12月25日、さらに1ヶ月後から拡大公開の運びになっている。

未翻訳である原作小説のファン、もしくは国外で鑑賞済みの映画のファン、そして未読・未鑑賞のファンからの抗議は、さすがに想定していなかっただろう。

配給会社も、さぞかし驚いたのではないだろうか。

確かに、「内容に即していない」という指摘は、的を射ているようで、本作はマーキュリー計画なるものに焦点が当てられた作品らしい。
しかし、配給会社のコメントはこうだ。

「日本のお客様に広く知っていただくための邦題として、宇宙開発のイメージを連想しやすい『アポロ計画』という言葉を選びました」「ドキュメンタリー映画ではないので、日本のみなさんに伝わりやすいタイトルや言葉を思案した結果」

 どうだろう。個人的には、戦略の一つして大いにありだと思う。

 しかし、この騒動はTwitter上でメルフィ監督に尋ねる者が現れるところまで発展してしまい、邦題が変更される事になったようだ。

ちなみに、メルフィ監督は「私も何故こうなったのか分かりません。問い合わせてみますが、(邦題を)変更するにはもう遅すぎると思います。」と回答している。

監督自身は、怒髪天を突くといった様子ではないし、何より日本でもヒットしてくれるに越したことはないのだから、配給会社の戦略を批判するつもりはないだろう。 

 

実は、少し前にも同じく邦題に関して、批判が上がった作品がある。

マイティ・ソー バトルロイヤル」である。

こちらは原題を「ソー/ラグナロク」といい、北欧神話の中で描かれる最終戦争を下敷きにしている。

ラグナロクという言葉が、日本人の中でどれほど浸透しているか疑問が残るが、こちらも配給会社からすれば、ド派手なアクションものであるとアピールして、集客を狙ったのだと思う。

こちらは、邦題変更にまでは至っていないが、同じ問題と言える。

繰り返しになるが、個人的には配給会社の戦略として、全く問題ないと思っている。

SNSの怖さ

今やSNSは、ほとんどの人にとって日常になくてはならないものになったが、今回の様に、一個人の発言が、一企業に損害を与えるまでになってしまった。(炎上商法として最終的には、良い方向に転ぶ可能性はあるが。)

声の多少、そして大小に関わらず、意見が発信される事は、ある面では素晴らしいが、さすがにここまで来ると恐ろしく思う。

何かを批判すると言うのは、誰でもやってしまいがちだが、単なるクレーマーにならぬ様に、気をつけたいところだ。

Rockの日なので…【00年以降の名盤・良盤】

2000年以降の、個人的Rockの名盤・良盤をいくつか紹介。(基準は、アルバムを通して捨て曲が少ないかどうか。)

2000 KID A / RADIOHEAD

もう聴きすぎて、客観的に評価出来ません。とにかく聴いて聴いて聴き込んでみて下さい。あるとき突然、ハマるかも。

2001 IS THIS IT / THE STROKES

シンプル。

2002 THE MUSIC / THE MUSIC

00年以降、こういうグルーヴを出すバンドは、稀。THE MUSIC自身も、2ndから方向転換し、そして解散へ…。惜しい。

2004 22-20s / 22-20s

こちらも、00年以降、メジャーシーンに出てきたバンドの中では、非常に稀なブルースロック。解散と再結成、そして再解散…惜しい。

2004 FRANZ FERDINAND / FRANZ FERDINAND

自然と体が動く。ライブはエンターテイメント性も高く、良いバンドです。

2004 KASABIAN / KASABIAN

デビューアルバムとは思えぬ完成度の高さ。エレクトロニックとロックの高次元での融合。オアシスを継ぐ、俺様バンド。

2006 Whatever People Say I Am, That's What I'm Not / Arctic Monkeys

フロントマンのアレックスは、当時20歳。風貌の幼さからは想像もできぬ、ソングライティング。天才だと言っても過言ではない。現在では、風貌も貫禄満点のロックスター。

2007 IN RAINBOWS / RADIOHEAD

現時点で、RADIOHEADの集大成。

2012 An Awesome Wave / alt-j

曲も歌も、癖がすごい。こちらもデビューアルバムとは思えぬクオリティ。

 

【6/12追記】

これ忘れちゃダメだろってのが、抜けてましたのでひっそりと追記。

2002 (  ) / Sigur Ros

これは本当に、アルバム通しで聴いてほしい。

 

 

婚活をしようかと考えた話

こんな夢を見た-(黒澤明風に)

父親が帰宅した。

車を停める音がして、しばらくすると歌う声が聞こえて来る。

父親の声と、小さい女の子の声。

近所の子供とじゃれているのかと思い、母親と様子を見に外へ行くと、父親ひとりだった。

 近所から聞こえる女児の声に合わせて、勝手に歌っていたのだ。

母親が僕に言った。

「ああやって、孫と遊んでいる仮体験をしてるのよ。」

ものすごく怖くて、ありえないほど切ない-(ジョナサン・サフラン・フォア風に)

----------------------ユメノハナシハココマデ-----------------------

毎年、誕生日の日にはメールをくれるんですが、お祝いの言葉に「良い人を見つけてください。」と一文添えられている…。

正直、言われると辛いけども、そりゃそうっすよね。

ごく普通に生きてきた人間ならば、大多数が家庭を持ち、子を授かり、孫が見たいと思うのは当たり前である。

ここ最近でこそ、結婚しない人が増え、少子化が進んでも、個人の自由の尊重が(過剰気味に)叫ばれるけれど、両親の世代ではまだまだ違和感のある事だと思う。

祖父母も亡くなり、今や自分の生きる意味は両親のみなので、何とか孝行したい…。

なので、婚活をしてみようかと考え中。

想像するだけでゲロ吐きそうだけっども…。

何か進展あれば、また書くかも。

 

 

【私の沼】Rock沼にハマっているお話

今週のお題が【私の沼】なので、数年来どっぷりと浸かっているRockの沼についてのお話。 

遅筆のせいでお題変わっちゃったけど、そのまま投下ッ!!

Garage Rock Revival(ガレージ・ロック リヴァイヴァル)

00年代の初頭に起きたUS・UKを中心としたムーブメント。
ガレージ・ロックは、曲が短く簡潔でポップさも兼ね備えた、かなり聴きやすいジャンルで、ここで初めてそれぞれの楽器の音や、バンドという形態を意識しました。

お気に入りだったバンドはコチラ。

 

現在この沼からはほぼ離脱。たまーに、爪先をちゃぷっとつけるくらい。

RADIOHEAD(レディオヘッド)

専門学校時代、友人にオススメを尋ねたら、「お前暗いから、これ。」と勧められたのが、RADIOHEAD

最初は全然良さがわからず。

その後数年かけて、ゆっくり沈んでいき、今や完全に沈没。チェックするのは作品やライブはもちろん、メディアへの露出、メンバーそれぞれのソロ活動及び別プロジェクト、果てはネット上に出回る膨大な数のライブ音源まで。

もはや、浮上する気配はない。屍蝋化確定。

Progressive Rock(プログレッシブ・ロック

1960年代後半から70年代にかけて、世界的に蔓延った。

そのジャンルに明確な定義はないが、特徴を強いて挙げれば、

  • 長尺の曲がある
  • 当時最新鋭の機材を使う
  • 多ジャンルの音楽を取り入れる
  • 歌詞が文学的

など。

アルバム一枚を残し消えていったもの、プライベートリリース版などを含めると、キリがない。クオリティの保証はないが、そんな中でも好みドンピシャの作品にぶち当たったりするところが、当時の音楽シーンの恐ろしさ。

もう掘れば掘るほどざっくざく出て来るので、まさに底なし沼。こちらも屍蝋化確定。

あまりにも、漠然としているので代表的なアーティストを紹介。

プログレ四天王

TV番組やCMなどでも、稀に使われているので、聞き覚えのあるものがあるかも。

21st Century Schizoid Man

21st Century Schizoid Man

Echoes

Echoes

最先端のアーティストには目もくれず、過去の音楽シーンを漁る。

同世代に同じ趣味の人間はほぼいない。

生まれる時代を間違えた。

 

でも、世界中にいるであろうRock沼の屍蝋仲間に乾杯。

 

違和感を抱えながら生きる人・村田沙耶香

小説家・村田沙耶香の特集記事を読んだ。

いくつか興味を惹かれる部分があったので、触れてみたい。

村田沙耶香はこんな人

 小説家、エッセイスト。

1979年生まれ、37歳。

作家仲間からは、クレイジー沙耶香と呼ばれている。

代表作に、

'"10人産んだら、1人殺せる。命を奪う者が命を造る「殺人出産システム」によって人口を保つ日本を描く『殺人出産』" 

殺人出産 (講談社文庫)

殺人出産 (講談社文庫)

 

"父と母の〈交尾〉で生まれた主人公・雨音。彼女は朔と結婚し、母親とは違う、セックスのない清潔で無菌な家族をつくったはずだった。

「セックス」も「家族」も、世界から消える……『消滅世界』"

消滅世界

消滅世界

 

などがある。

村田作品に対する感想

Amazon等のレビューを見ていると、「気持ち悪い」というものが、目につく。

だが、面白いことに、同じ「気持ち悪い」という言葉を使った感想でも、どうやら評価は二つに分かれているようである。

それは、読者が感じた「気持ち悪さ」に、二種類あるからだと思う。

一つは、ある種の性的嗜好に対する不快感。極端にわかりやすく言い換えてしまえば、下ネタが嫌いという感覚。

そして二つ目は、その性的嗜好がこの小説の中では、本来とは異なる意味を持って書かれていることに対する違和感である。

その違和感は、どこから来たのか。

 村田沙耶香はこんな人  その2

彼女の発言に、その違和感の一部が垣間見える。

"玩具をねだる兄に、母が「うちは貧乏だから」と叱るのを聞くと、家族というだけで家に住まわせてもらい、ご飯を食べさせてもらい、お菓子を買ってもらうことに良心の呵責を覚えた。"

" みんな、家族だから愛していると言うけど、本当かなって思ってました。道徳の授業やテレビの中にも、見過ごしてはいけないような疑問を感じていました。
そうじゃない真実や正義があるのではって。"

つまり、大多数の人間が当然だと思っているものの裏側を、常に疑っている訳である。

誤解を受けそうなエピソードではあるが、家族との間にトラブルがある訳ではない。

こんな話もある。

"応援してもらって筆が鈍るのは嫌だと親しい人には小説のことは言わずに来たが、母との間に葛藤を抱える娘の話でデビューした時に、勘当を覚悟で「お母さんのことを書いたわけではないよ」とまず母に打ち明けた。"

常識に対する疑念や違和感が、家族や周囲の人間に、どう受け取られるのかも考えているのだと思う。

親しい人には、あえて打ち明けなかったところにも、彼女の優しさや繊細さ、そして防衛本能的なものを感じる。

一方、家族は性描写の多い末っ子の作品から、早々に撤退したらしいが、これも何とも言えない距離を生んでいる気がする。

彼女自身が、家族に読まれる事(=自分の一面を理解される事)を望んでいればの話だが。

そして、初めて両親を招いた芥川賞受賞式で、「人類を裏切るような言葉を探したい」と誓った。

野心と憎しみとが綯い交ぜになった宣戦布告のようだ。

 自己防衛のための執筆

 そんな彼女も、学生時代の一時期は、周囲の人たちの影響により、明るい少女だった事もあるようだが、結局は上手くいかなかった。

"同調圧力に迎合してしまう自分を激しく嫌悪し、「消えてしまいたい」衝動に襲われ続けた。この世界との融和感はなく、話を聞いてくれる大人を求めてテレクラに電話をかけ、「完全自殺マニュアル」を読みふけって、卒業式の1週間後に山で凍死すると決めてカレンダーに書き込んだ。"

幸いにも、この計画が実行される事はなかった。

彼女を救ったのは、物語を書く という行為だったらしい。

物語を書く過程で、自身の内面やいじめの当事者の心情を分析して、傷ついた心を回復させる方法を覚えたそうだ。

最後に

違和感を持ち、苦しんで来た村田沙耶香は書き続ける事で、自分を守り生き続けてきた。

同じように、社会にうまく馴染めない者として、どう自分自身や周囲と折り合いをつけるかという、一つの方法を知ることが出来た。

それを自分のものに出来るかは分からないが、とりあえず、ブログで何かしら書いていくことのモチベーションにしたいと思う。

OK COMPUTER 20th Anniversaryに際して思う事

RADIOHEADが、3rd Album「OK COMPUTER」の20周年を記念して、特別盤をリリースすると発表した。

ファンは、多いに沸いている。

 

幻の名曲を遂に公式リリース

今回、20年の時を経て漸くリリースされる事になった「Lift」「Man of War」「I Promise」は、2nd Album「The Bends」のTourで演奏され、次作に収録されると噂されていた曲である。

中でも「Lift」は、ファンの間でも、当時から人気が高くリードトラックになるだろうと推測されていた。

しかし、その予想に反して、結局は20年間も"冷たい倉庫の食器棚"に置かれたままになっていたのである。

 

RADIOHEAD史における未発表曲という存在

未発表曲と言うのは、彼らの歴史において珍しいものではない。

新曲を作ると、ライブでの演奏を重ね、完成に向けて練っていくのが、彼らの主なスタイルで、当然そのままレコーディングされる事なく、未だ日の目を見ていない作品もある。

それでも、彼らは何度もそれらにトライし、納得のいく形に仕上げ、リリースしてきている。

例を挙げると、'01年の4th Album「Kid A」収録の「Motion Picture Soundtrack」は、95年に既に披露されていたし、'08年の7th Album「In Rainbows」収録の「Nude」は、98年には演奏されていた。

 そして、「Lift」も昨年リリースされた9th Album「A Moon Shaped Pool」に向け、再度トライされていた様である。

 

今、「Lift」が公式にリリースされるという事

先日、英国のラジオ番組で放送されたインタビューで、ギタリストであるエド・オブライエンは「Lift」が何故「OK COMPUTER」に収録されなかったのかについて、こんな風に話している(と思う)。

"「Lift」はとても面白い曲で、ライブで演奏した時、観客の熱狂は伝染していく様だった。もし、僕らがそれを正しい形で完成させていたならば、レコードは更に売れ、今とは違った場所に導いてくれただろう。そして、そうなれば僕たちは終わっていたと思う。

それほどの高いポテンシャルを持った曲を、スタジオでレコーディングしようとした時、まるで頭に銃を突きつけられている様なプレッシャーを感じたんだ。

だから、僕らはその曲を無意識のうちに台無しにしたんだ。"

何故それ程までの曲を、20年前にレコーディングしたエド曰く"かなり良い"バージョンで、リリースするのか。

それは、彼らがそれらの曲に見切りをつけた、もしくは諦めたという事ではないかと思う。

"ギターロックバンド"であった当時の彼らが作った曲を、それ以降に様々な楽器を取り入れ変化してきた現在の彼らでは、当時以上に納得のいく形に仕上げる事は出来ないのではないだろうか。

そして、それが意味するのは…。

RADIOHEADの終わり

4th Album「Kid A」の頃から、既にメンバー全員で作り上げていないのではないかという疑惑はあった。

8th Album「The King Of Limbs」以降は、ファンの間でも、中心人物のトム・ヨークジョニー・グリーンウッド以外のメンバーの存在感の薄さが、冗談半分とは言え、語られていたほどだ。

今回彼らが、当時レコーディングした未発表曲を、「おまけ」として発表する事を選択したのには、バンドとして、ある種の終わりを感じざるを得ない。

一度は、RADIOHEADという大きくなりすぎた存在と、どうにかして折り合いをつけた彼らだが、次に向かい合うことになった時、再びそれに勝ちうる気力がメンバー全員に残っているのか、いささか不安である。