どうも。野生の哲学者です。

先日、縁もゆかりもないビジネス雑誌を読んでたんですが、元気が出る哲学大全という特集を組んでました。

PRESIDENT (プレジデント) 2017年9/18号(元気が出る哲学大全)

PRESIDENT (プレジデント) 2017年9/18号(元気が出る哲学大全)

哲学の考え方(?)を、ビジネスに取り入れようみたいな感じでした。
まあ、その辺は関係ないので置いておくとして…
哲学って難しい事考えるイメージありますよね。
「我思うゆえに我あり」とか「永劫回帰」とか。
分かるようで分からないし、分かったところで何なんだっていう感じ。

そもそも、哲学というものが日常から縁遠いんですよね。
忙しない日々の生活の中で、普通は自己の存在をどうとか考えてる暇なんて無いわけで。
だから、哲学者という存在も、もはや都市伝説並み。
昔は、街へ出ればそこかしこで、哲学に勤しむ者たちを見かけたそうですよ。
こんな感じでね。

現代で、哲学者を見ようと思ったら、大学などで教授をしているかたわら、副業として哲学をしているプロ哲学者を訪ねないといけないわけなんですよ。
まあ、それは適当ですけど。
ありふれた存在でないことは確かです。

そして、野生の哲学者ごとき、考えすぎな僕たちには、生きづらい世の中です。
"(自)意識高い系"や"ネガティヴな人間"として、嘲笑され敬遠されるのです。
何故なのか。
それは、中二臭いからです。
でも、それはやむを得ないことだと思います。
偉大な哲学者たちが生きた時代は、人類を1つの生命としてみた時に、思春期にあたると思うんですよ。
まだ人類が青臭かった頃、多感なお年頃だったんですね。
現代、人類は成熟期あるいは老齢期と言ったところで、嫌悪と哀れみの眼差しを、未だ思春期の僕たちに向けるのです。