クレイジージャーニーを見て

先日、クレイジージャーニーにアルパインクライマー(岸壁登山家)の平出和也さんが出演されていました。
わたしは初見でしたが、同番組には幾度か目の出演のようです。

ちなみに、クレイジージャーニーとは、世界を巡る狂気の旅人(クレイジージャーニー)をスタジオに招き、体験を語ってもらったり、番組スタッフと同行ロケをするバラエティ番組です。(wikiより)

今回は「無謀な2人のジャーニーが偉業達成SP」と題されていまして、平出和也さんがパキスタンのシスパーレという山の登頂に成功した事に関する内容でした(もう一人の方は、ビッグマウンテンスキーヤー佐々木大輔さん)。

シスパーレという山は、情報量が少なく登山家から「未知の山」と呼ばれているそうで、平出さんは過去3度、未踏ルートでのシスパーレ登頂に失敗しています。
そして、今回4度目の挑戦で成功し、偉業を成し遂げたという訳です。

そして、ここからが本題なのですが、平出さんはその後のインタビューで「やっと登山家になれた」と話されていました。
それを受けて、スタジオの小池栄子さんは「謙虚」だと言い、バナナマン設楽さんも同調しているようでした。

そこで感じたのは、平出さんの「謙虚な姿勢」というのは対人的なものというよりは、自然とか環境とか、ひょっとしたら地球という様なもっと大きなものに向けられているんじゃないかという事でした。

技術の進歩により、現代においての日常の暮らしはすごく快適になっています。
冷暖房をはじめとし、いつでも何処でも温かい食べ物や飲み物を手に入れられるなど、自然環境によって死の恐怖にさらされるという事は、ほぼ無くなりました。
東日本大地震熊本地震などで、多くの方が亡くなってしまった痛ましい記憶は消えませんが、それとは切り離して、単純に「天災」だけに焦点を当てると、何が起きたかを科学的に分析し説明できるという事は、まだまだ技術が発達していなかった時代に比べると、その衝撃を少し和らげられているのではないかと感じます。

その点、(賛否あるでしょうが)厳しい自然と向き合い、命の危機を間近に感じる事の多い平出さんは、自然というものの「恐ろしさ」「どうしようもなさ」を知っています。
それは、おそらく「自分の向き合う世界」そのものの大きさを広げる事でもあると思います。

わたしの様に、日々において限られた範囲(地理的にも対人関係的にも)でしか行動しない人間に比べると、その広さはそれこそ地球規模でしょう。
だからこそ、自分の世界の中において自身が占める割合は小さく感じられ、それが謙虚な姿勢につながっているのではないでしょうか。

そして、これは昔の日本の人々の持っていた感覚(≒信仰)ではないかと思うのですが、その話はまた別の機会にしたいと思います。