今年印象に残った言葉①

今年、印象に残った言葉が3つありました。

3つともブログに書きます。
書くでしょう。
たぶん、きっと。
年内には。
早ければ年内には。。
いつかきっと。。

まず1つ目は、今年6月に癌で亡くなられた小林麻央さんの言葉です。

「人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。

『まだ34歳の若さで、可哀想に』

『小さな子供を残して、可哀想に』

 でしょうか??

 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」

年齢も2つしか違わないので、かなり衝撃を受けました。
会社に来る私と同い年のヤクルトの配達員の女性は、同じ子供を持つ親としての側面もあるからでしょうか、よりショックが強かったようです。

その時に、私が一番に感じた事は、小林麻央さんが「そんな風に思われたくありません」と仰っている事そのままでした。
それだけに、この麻央さんの言葉を拝見した時は、申し訳ない気持ちになりました。
そして、同時にハッとしました。

私は、物事の悲劇的な側面だけを抜き出して捉えてばかりだと思いました。
自分の人生を振り返った時、幸福な終わりを迎えた出来事など何もなかったと考えるのが常でした。
しかし、楽しい時間や幸福な時間は、間違いなくありました。
その事に気付かせてもらいました。

考え方を180度変えて、ポジティブ人間になろうとは思いません。
でも、これからは全ての事を平等に、そしてありのままに捉えていける様になれればと思います。

印象的な夢の話

他人の夢の話ほど、つまらないものはないですけどね。(どんな入りだ)

つい最近見た夢ではなくて、小学校の低学年頃に数回見た夢なんですが、すごく印象に残っていて未だに思い出します。

場所は、通学路の途中の緩やかな坂。
2車線で、進行方向右側は舗装どころか草刈りもまともにされていない歩道、左側は切石の歩道です。
とは言え、綺麗なものではなく植えられた街路樹の根が張り、でこぼこでした。

坂のちょうど中腹あたりには、同級生の家が建っています。
2階建ての白くて大きい家です。
父親が宝石商のような事をしていて、裕福な家庭だったと記憶しています。

そして、私はなぜか車道の真ん中に立って、その家を見ています。
しかし、その家や歩道、背後にあるそこそこ大きいホームセンターにも、人の気配が全くありませんでした。
車も一台も走っていません。
動くものが一つもなく、静かでした。

それで、何がそんなに印象深い(=奇妙だった)のかというと、朝なのか昼なのか夜なのか、全くわからないと言うことです。
人気や車の往来のない事を考えると、深夜なのかもしれませんが、それにしては周りがはっきり見えてるんです。

ただ、空だけが真っ暗でした。
曇っているのではなく、真っ黒なんです。
太陽はもちろん、月や星もありません。

暗幕をかけられた様でした。
見える範囲においては、きちんと立体感はあるんですが、視界の終わりぴったりに暗幕をかけられている、そんな感じです。
夜の帳が下りるのが見えたら、こんな感じかもしれません。
作り物めいていました。

奇妙な風景なんですが、恐ろしいといった感情はなく、当時も今も「魅力的だなあ」と思っています。
いつかあの風景を実際に見てみたいです。

ちなみに3才くらいの頃、その同級生と遊んでいて誤って、頭に鎌をぶっ刺して怪我を負わせてしまった事件がありました。
反省しています。

地球温暖化の影響で餓死するホッキョクグマ

地球温暖化の影響で、餌であるアザラシが居なくなってしまい飢えてしまったホッキョクグマだそうです。
餌を与える事は禁止されているため、しばらくのちには餓死してしまっただろう、との事です。

正直、地球温暖化というものを実感しているかと言われると首をひねるところではあるのですが、やはりこんな痛ましい映像を見ると認識を改めなければいけないのだろうと思います。
野生のホッキョクグマですら、こんなに痛ましいのにこれが自分の愛する動物や、そして人だったらと考えると…。

人間という種類が自らの過ちのせいで滅びるのは仕方ないのだとしても、罪のない動植物までも道連れにするのは、恐ろしく罪深い事じゃないでしょうか。

ミサイルを飛ばしたり、罵りあったり、信仰の違いで殺戮し合ったり、そんな事をしてる場合ではないのに、何故そんな狭い世界でしか物事を見られないのでしょう。
それとも、生き物とはその程度でしかないんでしょうか。
そんな程度の生き物が、地球の環境を捻じ曲げてしまえる様な力を手にしてしまったのが、不幸だったんでしょうか。

少し恥ずかしい話

はてなブログを始めて間もないので、読者登録しているブログ様は多くないのですが、その中でも坂津さんの「かなり」は楽しく拝見させてもらってます。
奥様と仲睦まじい様子は微笑ましく、仕事のお話は非常に頼り甲斐のある上司っぷりが凛々しく、憧れます。

で、坂津さんが先日書かれた記事。

こちらに何の気なしに初めてコメントを書かせて頂いたんですが、やらかしてしまいました。
記事にスターをつけたつもりが、恥ずかしい事に自分のコメントにスターをつけてしまいました…
恥ずかしいっ///


そもそもコメント書いてよかったのかもわかりませんし、この事を自分のブログに書いても良いのかと悩みながら書いております。
坂津さん、色々と申し訳ありません。

そして、わたしのコメントにスターをつけてくださった方がお二人いて、なんかそれも逆に恥ずかしいです。苦笑

なんかはてなブログって難しいですね。うーむ。

メタルクウラをご存知ですか?

メタルクウラとは、ドラゴンボールZ(劇場版)に登場する悪役です。

あの有名なフリーザの実兄であるクウラが、一度悟空に敗れながらも、瀕死の状態からサイボーグとなって復活したのです。
もちろん名前の通り、外見はピッカピカです。

個人的に思入れの深いキャラクターです。
何せ初めて、家族以外の人間と映画館に足を運んで鑑賞したのが、この「激突!!100億パワーの戦士たち」なのです。

このポスターも購入して、数年間は部屋の壁に飾ってありました。
映画とは言っても、春休み東映アニメフェアで「ダイの大冒険」と同時上映されたものなので、時間は45分程度と非常に短くサクッと纏まっています。
しかしながら、劇場版の良いところは何と言ってもクオリティの高さ。
これはまあ言ってしまえば、TV放映版のクオリティの低さとのギャップのおかげでもあるんですが。笑
TV版は恐らくスケジュールの都合上、制作が何組かに別れていて、作画クオリティの高い回と低い回が入れ替わり立ち替わりだったのです。
小学生だった当時はさほど気にならなかったんですが、今見ると作画崩壊の嵐で笑えます。笑
しかも、内容がほとんど進まないんですよね。笑

話を劇場版に戻しましょう。
そう、劇場版はそこの所、力が入っているわけです。
作画崩壊一切なし!もちろん、使い回しのシーンも一切なし!(一部、前作劇場版の回想シーンが挟まれますが、音声は新録です)
登場キャラクター的にも、悟空もベジータスーパーサイヤ人の力を手に入れて間もない脂の乗り切った時期なんです。

で、今頃なぜ92年公開作品の話をするかというと…
メタルクウラのフィギュアが発売されるからです!!
それがこちら!!



全世界クウラファン待望!



驚異の100体セット!


もう一体ついてくる!


378,000円!!

いらねーッ!!!

ツーブロックにしてみました

美容院でツーブロックにしてみました。
もうかれこれ10年ほど、髪型を変えていなかったので久しぶりのイメチェン(死語?)です。

今の美容室に行き始めてからは、3年といったところでしょうか。
いつも担当してもらうのは、少し年下の男性美容師さんです。

今回参考に見せたモデルさんの写真がコチラ。

(写真は男前研究所さんからお借りしました。 https://otokomaeken.com/ )

びようしさん「ナチュラじゃないですか、どうしたんですか?」
ぼく「(どういう意味やねん!)僕はいつもナチュラルですが?(にっこり)」
びようしさん「HAHAHA」

HAHAHAじゃねーよ。
今までお願いしてた髪型は不自然だったんですかねぇ。
わたしは最短でも3年、最長で10年もの間、不自然な頭をひっさげて外の世界に躍り出ていたんでしょうか?

そういえば、18〜20の時も美容師さんに
「あぁ、映像関係の学校だから、こんな奇抜な髪型するんですね。」て言われたことがありました。
まぁ、その時は真っ赤なソフトモヒカン+ウルフヘアーだったんでね。あんまり言い逃れできない感はありますけど…。

初めてテーラードジャケットを着て専門学校に行った時も、同級生に「おっ!どうした!今日は普通の格好して!」と言われた事も思い出しました。

うーん…恥の多い人生でした。
ちなみに今までの髪型の参考にしてたのは、この人です。

あくまで雰囲気ですよ。
わたしはこんなにおでこ広くないですし。
前髪をアシンメトリーにして、いびつな頭の形をカバーする為に、ソフトモヒカンにしていただけです。

でも、この人アーティストだからなぁ…
やっぱりパンピー(死語)がやると、不自然なのかなぁ…。
まぁ、それも過去の話!
これからはナチュラルな頭でガンガン攻めていこうと思います。(←根に持ってる)

クレイジージャーニーを見て

先日、クレイジージャーニーにアルパインクライマー(岸壁登山家)の平出和也さんが出演されていました。
わたしは初見でしたが、同番組には幾度か目の出演のようです。

ちなみに、クレイジージャーニーとは、世界を巡る狂気の旅人(クレイジージャーニー)をスタジオに招き、体験を語ってもらったり、番組スタッフと同行ロケをするバラエティ番組です。(wikiより)

今回は「無謀な2人のジャーニーが偉業達成SP」と題されていまして、平出和也さんがパキスタンのシスパーレという山の登頂に成功した事に関する内容でした(もう一人の方は、ビッグマウンテンスキーヤー佐々木大輔さん)。

シスパーレという山は、情報量が少なく登山家から「未知の山」と呼ばれているそうで、平出さんは過去3度、未踏ルートでのシスパーレ登頂に失敗しています。
そして、今回4度目の挑戦で成功し、偉業を成し遂げたという訳です。

そして、ここからが本題なのですが、平出さんはその後のインタビューで「やっと登山家になれた」と話されていました。
それを受けて、スタジオの小池栄子さんは「謙虚」だと言い、バナナマン設楽さんも同調しているようでした。

そこで感じたのは、平出さんの「謙虚な姿勢」というのは対人的なものというよりは、自然とか環境とか、ひょっとしたら地球という様なもっと大きなものに向けられているんじゃないかという事でした。

技術の進歩により、現代においての日常の暮らしはすごく快適になっています。
冷暖房をはじめとし、いつでも何処でも温かい食べ物や飲み物を手に入れられるなど、自然環境によって死の恐怖にさらされるという事は、ほぼ無くなりました。
東日本大地震熊本地震などで、多くの方が亡くなってしまった痛ましい記憶は消えませんが、それとは切り離して、単純に「天災」だけに焦点を当てると、何が起きたかを科学的に分析し説明できるという事は、まだまだ技術が発達していなかった時代に比べると、その衝撃を少し和らげられているのではないかと感じます。

その点、(賛否あるでしょうが)厳しい自然と向き合い、命の危機を間近に感じる事の多い平出さんは、自然というものの「恐ろしさ」「どうしようもなさ」を知っています。
それは、おそらく「自分の向き合う世界」そのものの大きさを広げる事でもあると思います。

わたしの様に、日々において限られた範囲(地理的にも対人関係的にも)でしか行動しない人間に比べると、その広さはそれこそ地球規模でしょう。
だからこそ、自分の世界の中において自身が占める割合は小さく感じられ、それが謙虚な姿勢につながっているのではないでしょうか。

そして、これは昔の日本の人々の持っていた感覚(≒信仰)ではないかと思うのですが、その話はまた別の機会にしたいと思います。