「失望」と題された曲



"失望"と題されたこの曲は、セント・キャサリンズ・コートの舞踏室で、午前3時にライブ録音されました。




1997年にリリースされたRADIOHEADの3rd Album 「OK COMPUTER」の5曲目にあたるこの曲は、4曲目「Exit Music (For A Film)」のアウトロである雑踏のような音から、切れ目なく立ち上がってくる。
絡み合うそのギターの音は、青色のライトが煌めく万華鏡のようだな、といつも思う。
ベースは音数こそ多くないが、そっと勇気付けられるような優しさを感じる。
Thom Yorke(トム・ヨーク)の声は最初こそ、感情を欠いているように聴こえるが、途中から焦燥や葛藤、悲愴感を滲ませてくる。
そして、最後の1分。
重なるすべての音に心を揺さぶられる。
それは、先に挙げた負の感情への共振だったり、素晴らしい音に対する純粋な感動だったりする。

歌詞

以前、インタビュー記事で読んだのだが、Thomはこの曲を含めた2曲を「あまりにもパーソナル過ぎる」という理由から、「OK COMPUTER」に収録するか躊躇したそうだ。
けれど、Thomのそんな苦悩とは裏腹に、自分にとって、この詩は間違いなく大きな魅力の一つだ。
自分なりに以下の様に解釈している。

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移動
高速道路に鉄道
動いては停まり
離陸して着陸する

心が空っぽになって打ちひしがれた人たちは
酒に溺れ 何もかも忘れようとするけど
それはかえって失望を深めるだけ

落ち込み 無為に過ごす
踏み潰された虫ケラみたいに

殻が砕けて 体液が溢れ
翅が痙攣し 足の感覚がなくなっていく

感傷的になるなよ
どうせいつも戯れ言におわる

でも、いつか翼をはやす

失望なんて
ヒステリックで役に立たない
単なる化学反応に過ぎないのに

落ち込み 何も出来なくなる
踏みつけられた虫けらみたいに

そして、何度も何度も繰り返す

けど、自分の居場所くらい分かるだろう
足下が揺らぐようなことがあったとしても
誰と一緒に居るべきなのかは分かるだろう
そして、いつか翼をはやす

失望なんて
ヒステリックで役に立たない
単なる化学反応に過ぎないのに

失望して 無為に過ごす
踏み潰された虫ケラみたいに

落ち込み 何も出来なくなる

**********

おそらくThomは、2nd Album 「The Bends」tourで世界中を移動した際に、心が疲弊したのではないかと思う。
国内旅行すらしない自分にとっては、母国を離れ、飛行機のトランジットを繰り返したり、車や電車での移動を数ヶ月間に渡って続けるという事を想像するのは難しい。
けれど、馴染みのない土地で、馴染みのない食事を摂り、馴染みのないベッドで眠り、愛する家族や友人とも会えない日々が続く辛さは、想像できる。
そして、そんな想いを吐露したこの曲を携えて出立した「OK COMPUTER」tourでも、待ち受けていたのは、前回の時と同じかそれ以上の疲弊だったのではないだろうか。
その様子は、彼らのドキュメンタリー「Meeting People Is Easy」で見ることが出来る。

神経質なThomはもちろん、普段温厚なColin Greenwood(コリン・グリーンウッド)の憔悴ぶりが、tourの過酷さを物語っている。
しかし、自分たちのそんな様子をあえて映像作品にして残そうというのは、彼らのジョークだと思うのだが、あまり理解されないのかもしれない。


本題に戻る。
Verse1では、移動で憔悴した人たちの姿が、第三者からの視点で描写される。

Verse2の冒頭は、『踏み潰された虫ケラ』の描写である。
もちろん本当の虫の事ではなく、『打ちひしがれた人たち』の比喩だろう。
死を連想させるほど深刻な状態にあるにも関わらず、『感傷的になるなよ』 『戯れ言に終わる』と誰かを慰めるかのような、第三者視点に思える描写が続く。
しかし、その後に来るのは、『いつか翼を生やす』という主観表現である。(日本語訳では好みの問題で省略したが、英詩では"I am going to grow wings"となっている。)
その振り幅が、より感情の昂りを感じさせる。

そして、その昂りを滲ませたThomが歌うのは、感情をコントロール出来ない自分自身への苛立ちである。
感情とは、体内物質の『化学反応』に過ぎないのに、それに支配されて何も出来なくなる自分が、愚かに思えて仕方ない。
なのに、結局『何度も何度も繰り返』してしまう。
それがまた失望を生む。

そんな終わりの見えない苦しみから抜け出すために、『自分の居場所』の事を考える。
具体的に言及はしていないが、"You know where you are with"となっているので、ここで言う『居場所』は「どこにいるか」ではなく「誰といるか」だろう。

そして、『翼』はその居場所への移動手段であり、同時に『失望』に屈しない精神の象徴のように思える。
しかし、それは実在しないもので、実際の距離を埋める事は出来ないし、『失望』に屈する日々は続いていく。

最後にchorusが来るのは、音楽的な判断からだろうが、そう解釈する事で、この苦しみが普遍的であると感じられ、不思議と勇気付けられているような気分になる。
それもまた、この曲が多くのファンに愛されている理由だと思っている。