摂食障害の話

この事件で、久しぶりに摂食障害という病を思い出しました。

実は、33年間生きて来て、一度だけ女性とお付き合いした事があるんですが、その方が摂食障害でした。

付き合い始めだったか、それより少し前だったのかは忘れましたが、「摂食障害という病気なので、入院を勧められているが、どうしたらいいか?」という相談がありました。

おそらく、病気を隠したままお付き合いするのは駄目だと思って、意を決して打ち明けてくれたのだと思います。

彼女の性格をよく知った今となっては、それがどれほどの勇気を振り絞った行動だったかと、胸が締め付けられる思いです。

しかし、その時点で、摂食障害という病気の存在自体を知らなかった僕は、「病気が良くなるなら」と入院を勧めました。

が、結局、お別れする事になる5年後まで完治する事はありませんでした。

 

 

摂食障害の症状には、いくつかあります。

彼女は、拒食→過食嘔吐でした。

お付き合いし出した頃には、過食嘔吐の症状でしたので、拒食が実際どのようなものだったかは、わかりません。

過食嘔吐は、まず成人男性数人分の食事をして、その後できる限り、嘔吐するというものでした。

なので、結局はまともに食べ物を摂取出来ず、やせ細ってしまいます。

彼女の体重が一番落ちた頃は、29kgでした。

身長は160cmだったと思います。

その時は、本当に顔が真っ白で血の気がなく、立つのもやっとの状態。

頰はこけ、頭蓋骨に皮が張り付いているといった感じでした。(人の顔の下には、本当に頭蓋骨があるんだなと、バカみたいに思ったのを覚えています。苦笑)

また、過食に使う食費も高額で、1日に、5000〜1万でした。

当時は、僕の両親に借金して暮らしていました。

なので、今回の元マラソン選手のように、万引きは身近な問題でした。

もちろん、お付き合いしている間は、たいてい一緒に買い物に行くので、そんな事はなかったのですが、一人で苦しんでいた頃には、値引きシールを他の商品から剥がして、欲しい商品に貼り付けて買ってしまった事はあるそうです。

 

そして、一番辛かったのは、彼女の親族に理解者が一人もいなかった事です。

「甘え」だと言われ、キツく当たられることのほうが多かったそうです。

愛情はもちろんあるのですが、精神の病気を理解できなかったようです。

話し合ったり、書籍を渡して読んでくれと言いましたが、あまり効果はありませんでした。

そこで、半ば強引に彼女を連れ出して、同棲を始めました。

今思えば、それが良かったのか分かりません。

結局は、金銭面や体力面、精神面でもお互い追い詰められて、別れる事になりました。

別れる前は、僕も随分キツくあたりました。

まともな精神状態ではありませんでした。

金銭面も含めて、僕に負い目があった彼女はそれでも耐えていたのだと思います。

本当に申し訳ない事をしたと、今でも悔やみます。

それでも、彼女は年齢を重ねると共に、精神面でも少し落ち着き、それに伴って過食嘔吐の症状も和らぎ、外に出られるようになりました。

そこで、中退してしまっていた高校にも入り、友人もたくさん出来ました。

そうして、僕以外のところにも居場所を見つけられた彼女はようやく、僕と別れる決心ができたそうです。

人づてに聞いたところ、今は結婚して、幸せに過ごされているようです。

 

僕は彼女の事を愛していましたが、彼女の方はどうだったのだろうと、よく考えました。

と言うか、未だに考えます。

お付き合いしていた当時は、今よりさらに愚かだったので、気付きませんでしたが、明らかに対等な関係ではありませんでした。

彼女は、当時誰からも理解されず、藁にもすがる思いで僕と付き合い、僕との関係が悪化しはじめても、しばらくは借りがある為、我慢していたのだろうと思います。

最低な捉え方だとは思いますが、「自分は愛されていたはず」なんて、言えないんですよ。

あそこまで、自分を受け入れてくれた人はいませんでしたし、そんな人にすら不快な思いをさせ、我慢できないと言うところまで追い詰めてしまうような人間なので。

 

結局、自分の話になってしまいました。

自己嫌悪は強いんですが、同じくらいナルシストでもあるんだと思います。

ナルシストに対する嫌悪感って、結構強い方なんですけど、でも、自分がそうなんですよね。だから、自己嫌悪をして、でもそれもナルシズムで….みたいな気持ち悪い堂々巡りです。

本当は、摂食障害に対する理解を深めてもらえるような事を書きたかったのですが、ダメですね。笑

すみません、看板に偽り有りでした。笑

 

でも、もし身近に摂食障害の方がいたら、どうか「甘え」だなんて思わず、お話を聞いてあげてください。

摂食障害の方達は、おそらく普通の人より、聡明で優しい人たちばかりです。

太っていようが、痩せていようが、人間的な魅力溢れる人たちですから。

 

福島みずほ ネクロマンサー発言の真意は?

福島みずほ議員のこの発言(リンクは発言を書き起こした本人のブログ)が問題になっている。

福島みずほのどきどき日記 平和の誓い

まあ、全文的に色々突っ込まれてる所はあるんですが、特にこの部分。

ロードオブザリング指輪物語」の中で、死者の人たちが地中から蘇り、力を合わせて共に戦う場面があります。わたくしは今、その場面を想起しています。主権者であるわたしたちは、戦争犠牲者の全てのみなさんと共に力を合わせて、9条改悪を止めたいのです。

死者を冒涜していると批判されているようで。

比喩として「ロード・オブ・ザ・リング」の死者の軍勢を用いたのが、マズかったのだろう。

映画でのビジュアルがコレだもん。

日本人の感覚で言う所の「安らかに眠る」とは、程遠い印象。f:id:Naok_i:20170816161836j:image

 これが、終戦記念日に行われた「戦争犠牲者追悼、平和を誓う8.15集会」で誓いの言葉だと言うのだから、驚く。

 だけれど、この比喩は本当に死者を冒涜するような真意の元に使われたのだろうか。

おそらく違う。

単純にその真意は、「戦争の犠牲となった多くの方々の事を忘れずに、二度と同じ過ちを繰り返さない」と言うことだろう。

引用した部分以外の発言から、汲み取れる気がする。

ただ、用いた比喩が驚異的にマズかった事と、安倍政権に対する批判を、平和の誓いそっちのけでぶち込んできせいで、問題が複雑になっている。(そう言う意味では、死者を利用していると言える)

普通に考えれば、この発言を戦没者の遺族や、国民がどう解釈するのかは分かるはずだ。

発言内容の候補に上がるだけでも阿呆だ。

子供の頃に、"人の気持ちを考えなさい"と言われなかったのだろうか。

 

今回に限らず、政治上の疑惑などが噴出するたびに、気持ちが重くなる。

それは、これが政治家の身にだけ降りかかる問題ではなく、自分も直面するものだからで、SNSでの罵詈雑言や批判合戦を見ていると、気持ちが沈む。

同じ種族とは言え、所詮別個の生命体で、お互いを理解するのは土台無理な話なんだなと。

 

いつか、と言うか、今すぐにでもどこで折り合いをつけて他者との関わりを持っていくべきなのだろうが、それが出来ない。

何処かで、他者が自分を深く理解してくれるんじゃないかと、バカな期待をしている。

もういろんな意味で恥ずかしい人間で、早くその辺を諦めたい。

 

最後に、福島みずほ議員を擁護するつもりでもなければ、安倍首相を支持または批判する為に、この記事を書いたのではない事を、念のため付け加えておきます。

 

ぼくは今日、窓際族になりました

はい、タイトル通りでございます。

仕事が…

仕事がなくなりました。

 

今の会社に勤めて9年目なんですが、大手の取引先を失い、現在の売上は入社時の1割にまで減少しました。

よく潰れねえなって感じですが、グループ全体で利益は出ているので、とりあえず存続してます。

しかし、ここ数年会社は毎日お通夜状態。

 

そして、遂に8/15を持って、唯一残っていた大手取引先からも、事実上の取引停止を言い渡され、個人的にやる事がほぼなくなりました。

11時間拘束でやる事なし

暇っていうのは本当辛いです。

 

親も高齢ですし、田舎に帰って職を探すかと思ってます。

 

トラウマの日

今日は、長崎に原子爆弾が投下された日です。

6日は、広島に原子爆弾が投下された日です。

日本人の大半は、毎年この話題から逃れられないでしょう。

 

個人的な核兵器放射能に関する経験(記憶)は、学校で読んだ「はだしのゲン」、8/6・9に放送される特別番組、「ゴジラ」に代表される古い特撮番組、「ターミーネーター」など。

近年では、「はだしのゲン」が学校から消えて行ってるそうですが、どうなんでしょうね。

人間って、よほどの恐怖体験がなければ、どんな悲劇も忘れて、愚行を繰り返す生き物だと思うんですよ。

実際に経験する事は出来ないから、体験談や創作物で、恐怖を与え続けないと。

 

はだしのゲン」に怯えて、風呂に入るたびに「今、窓の外に強烈な光が見えたら、潜れば助かるかも…」

「爆発はまぬがれても、被曝する」

「自分はとりあえず無事でも、被曝して恐ろしい姿になった家族を見ることになるかも」

なんて考えてたのも、他人の記憶を観察しているような靄がかったものになってしまったし。

 

他にも色々書きたい事はあるけれど、配慮すべき事が多すぎるので、割愛。

ただ、なんと言うかこのブログで言いたかった事は、核兵器撤廃!とか世界平和!とかでは無く、人間が関知できる範囲は狭いんだよっていう諦念です。

 

 

 

 

鼻血の事なら俺に聞け

鼻血の事なら俺に聞け。

人生で唯一、誇らしげに言えるセリフかもしれない。

それくらい鼻血は出してきた。

 

転んで鼻をぶつけては、鼻血を出し、

鼻をホジホジしては、鼻血を出し、

鼻をかんでは、鼻血を出し、

学校にこっそり持ってきたおもちゃを見つかっては、鼻血を出し、

果ては、何もしていないのに鼻血を出してきた。

弱点は?と聞かれれば、鼻の粘膜と即レスするほどに、鼻血を出してきた。

アレヨアレヨと言う間に、鼻血経験値は増大し、小学校高学年になる頃には、鼻血エキスパートを自負していた。

鼻血エキスパートの手にかかれば、ティッシュペーパーなど不要である。

鼻血が鼻の内側面を滴るより早く、じわりと出血した時点で、血の匂いを感知できた。

そして、脊髄反射的に親指と人差し指で、小鼻を摘む。

後は、血が固まるまで待つだけだ。

止血の基本は、圧迫である。

学校での鼻血イベントは、かなり恥ずかしい。

その危機を回避すべく、10才程度で自ら最速で鼻血を止める方法を編み出していたのだ。

今では、体調不良の兆候として鼻血を出してくれる手のかかる可愛い鼻の粘膜。

ありがとう。

 

部分的に大人になってるなぁと思った話

世間のキッズは夏休み突入してるんですね。

独身の30男は、世間のカレンダーから乖離し過ぎて、その辺を直に感じる事がなくてですねぇ。

何で気付いたかと言うと、SNSで「夏休み子ども科学電話相談」というワードが、トレンド入りしてたからなんですね。

ラジオ番組なんだかテレビ番組なんだかも、分かってないんですが、タイムラインで抜粋された内容を見てたら、「子どもってこんな事考えるよな、そう言えば」なんて思って、自分のおっさん化をひしひし感じた訳です。

社会で生きて行く為に必要な部分は未成熟なままなのに、そう言うある種人としての魅力みたいなトコは、ぐずぐずに熟して行ってるんですよね。と言うか、もう腐っとるわな。

 

まあ、それはさておき。

今日の放送で、気になったキッズからご質問はこんな感じ。

  1. どうして昆虫は不完全変態完全変態に分かれるんですか
  2. なぜ肉食動物と草食動物がいるんですか
  3. なぜ小林先生は土を食べていたのですか

1に関しては、聞かれるまでそんな事忘れてる大人も多いんじゃなかろうか。

ほとんどの男性は、小さい頃虫に夢中になった経験があり、じっくり観察していたはずなのに、いつの間にか青虫がさなぎの中で、一度ドロドロに溶けて蝶になるという驚くべき事実を、当たり前の事として受け入れてしまっている。

次に2。

この質問をした女児は、なぜそれを疑問に思ったのか尋ねられて、「草食動物しかいなかったら誰も食べられないのに」というおっさんの涙腺をえぐい角度で攻めてくる理由を披露していた。

そうさ、僕たちは天使だったというドラゴンボールZのエンディング曲の一節を思い出した。

身も心も薄汚れてしまった大人どもは、あどけない子供達の寝顔を見つめながら、反省するがいい。

3。これは是非とも実際の放送を聞きたかった。

4歳の少年と、恐竜に詳しい小林先生の爆笑必死の会話劇だったようだ。

そもそも、恐竜についての質問ではなく、小林先生の生態に関する質問だし、小林先生は何をやってるんだという話だ。

内容はこうらしい。

こうくん(4歳)「どうして小林先生は土を食べてたんですか?」 

先生「たべてはないんだけど。笑」 

こうくん「どうして小林先生は土を食べてたんですか!?!?」 

こうくん「テレビで見ました」 

先生「あれは化石を」 

こうくん「おはようございます!」

どうだろう、このお笑いの手本のようなやりとり。

この抜粋だけでは、小林先生は依然として変な人のままなので説明すると、化石ならば舌の水分を吸っていく感覚があるので、それで判断しているとの事だ。

テレビで見た大人の奇行を、これはチャンスとばかりに本人に直撃するこうくんのアクティブさには、尊敬の念を禁じ得ない。

大人なら、「ヤベー奴だ。関わりたくない」と思って終わりだろう。

 

こんな感じで、子どもたちはいつの時代も好奇心旺盛で素晴らしい可能性の塊だし、その可能性を否定せず褒めて伸ばそうとする先生たちの受け答えも、ハッとさせられる。

もう一度童心に帰って、当たり前を疑問視してみたい気分になった。

しかし、小林先生は舐める以外にも、化石を判別する方法を持ち合わせてると思うのだが、どうだろうか。

 

兄弟が8人いる!?

2つ前のブログに書いた叔母が、亡くなりました。

葬儀も終わり、人心地ついたところです。

 

平均寿命よりは短い75歳での死去でしたが、闘病や余命宣告があった事もあり、それなりに周囲も覚悟を決める余裕があったのが、不幸中の幸いです。

 

ところが、個人的に少しモヤモヤが残る出来事ありまして。

それは、叔母が亡くなる2週間前に、見舞いに訪れた僕の両親に対しての発言についての事です。

兄弟についての話をしていた時に、自分たちは8人兄弟だと、父に言ったそうなんです。

父は、自身は7人兄弟だと思って育って来たのにです。

 

父曰く、7人兄弟 3男4女で、上から

1.女(存命・87歳)

2.女(故人)

3.男(故人)

4.女(今回亡くなった叔母)

5.男(故人)

6.女(存命・70歳)

7.男(父・67歳)

という内訳(?)の筈なんですが、叔母の言葉を信じれば、どこかに名も知らぬ兄か姉が入る事に…。

何とも気になる…。

 

普通の感覚では、知らない兄弟がいるなんてあり得ないと思いますが、ご覧の通り長女と父は20歳差であり、しばらくは父本人も、姉だとは知らなかったそうですから、あながち否定できないわけです。

それに、二男は戦後すぐの食糧不足で、生まれて間も無く亡くなったそうで、名前も知らないとの事です。

…ますます、ありそうな話だとは思いませんか?

 

幸い、長女である叔母はまだ元気で、痴呆の気配もないので、確かめたいと思い、父に聞いたのですが、父は叔母が錯乱していただけだろうと取り合って貰えませんでした。

と言うわけで、永遠の謎として消滅するその日まで、ひっそりと抱えていこうと思います。