プロ哲学者も生きづらかったのか
前回の記事から、続きといえば続きなのだけれど、(畏れ多くも)自分と同じような事を考えていたプロ哲学者たちは、生きづらくなかったのだろうか。
少し調べてみると、こんな記事があった。
この記事によると、
サルトルは同じく哲学者のボーヴォアールに、「契約結婚」を申し込んだそうだ。
一時的な恋愛に縛られるべきではないと、いけ好かないチャラ男みたいな事を言っているが、惚れた弱みかボーヴォアールは、嫉妬の心に悩まされながらも(健気だ…)、サルトルの死まで、その契約を続けたらしい。
ボーヴォアールも、変わり者だったという事かもしれない。
次に、キルケゴール。
24歳の時に、15歳のレギーネに2年間にわたって、結婚を申し込んだそうだ。
現代の日本なら、いろいろアウトだ。
しかし、その執念の結果、婚約を結ぶ事が出来て、ハッピーエンド!
と、思いきやキルケゴールから、婚約破棄。
自分が果たして、愛する彼女を幸せにできるのかと悩みすぎたゆえの決断だったらしい。
(笑)
いや、まあ笑えないんですけど。気持ちはわかるし。
最後に、ニーチェ。
哲学なんて何も知らない自分でも、名前くらいは知っているニーチェ。
ニーチェは、現代において哲学史を塗り替えたといわれるドイツの大哲学者です。ところが、彼は恋愛に関しては、ヒットゼロ。一生独身で、最後は発狂して死にました。
一生独身で、最後は発狂して死にました。
一生独身で、最後は発狂して死にました。
一生独身で、最後は発狂して死にました。
パワーワード過ぎる(笑)
4時間過ごしただけの女性に求婚の手紙を出し、もちろん振られ、友人に「もう絶対結婚なんかしない!」と槇原敬之にインスピレーションを与えたかもしれない宣言をします。
その後ルーという女性に出会い、哲学について語ったりしながら過ごすうち、ルーを哲学の弟子かつ伴侶と考えるようになり、前言撤回!求婚し玉砕…。
「結婚なんてバカバカしい。過去の偉大な哲学者はみんな結婚なんてしていなかった!」という負け犬の遠吠えのような言葉を残しています
森見登美彦の小説に出てきそうな人である。笑
しかし、この3人をみると、やはり偉大な哲学者は世の中には迎合せず、生きづらかったのではないか。
そして、僕も同じような末路を辿るのか…恐ろしい。
しかも、自分の場合は後世に名を残すことも叶わず、ただ発狂して死ぬのだ。
発狂して死ぬのは嫌だなぁ。笑
どうも。野生の哲学者です。
先日、縁もゆかりもないビジネス雑誌を読んでたんですが、元気が出る哲学大全という特集を組んでました。
PRESIDENT (プレジデント) 2017年9/18号(元気が出る哲学大全)
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哲学の考え方(?)を、ビジネスに取り入れようみたいな感じでした。
まあ、その辺は関係ないので置いておくとして…
哲学って難しい事考えるイメージありますよね。
「我思うゆえに我あり」とか「永劫回帰」とか。
分かるようで分からないし、分かったところで何なんだっていう感じ。
そもそも、哲学というものが日常から縁遠いんですよね。
忙しない日々の生活の中で、普通は自己の存在をどうとか考えてる暇なんて無いわけで。
だから、哲学者という存在も、もはや都市伝説並み。
昔は、街へ出ればそこかしこで、哲学に勤しむ者たちを見かけたそうですよ。
こんな感じでね。
現代で、哲学者を見ようと思ったら、大学などで教授をしているかたわら、副業として哲学をしているプロ哲学者を訪ねないといけないわけなんですよ。
まあ、それは適当ですけど。
ありふれた存在でないことは確かです。
そして、野生の哲学者ごとき、考えすぎな僕たちには、生きづらい世の中です。
"(自)意識高い系"や"ネガティヴな人間"として、嘲笑され敬遠されるのです。
何故なのか。
それは、中二臭いからです。
でも、それはやむを得ないことだと思います。
偉大な哲学者たちが生きた時代は、人類を1つの生命としてみた時に、思春期にあたると思うんですよ。
まだ人類が青臭かった頃、多感なお年頃だったんですね。
現代、人類は成熟期あるいは老齢期と言ったところで、嫌悪と哀れみの眼差しを、未だ思春期の僕たちに向けるのです。
少しの罪悪感
前回、映画「ダンケルク」を鑑賞した話を書いたのだけれど、おそらく検索からなのか、アクセスが普段の10倍以上あった。
封切り直後だったし、日本で唯一ノーラン監督の意図した通りの状態で鑑賞できる、エキスポシティの劇場だった事もあるのだろう。
しかし、読んで頂いた方はご存知の通り、あの内容である。
批評や評価などではないし、ひょっとしたら感想にすらなっていない。
もちろん、書き出した時点で、自分ではあの着地点は見えていたし、その着地点が映画の感想からはズレているという自覚もあった。
ただ、アクセス数が増えるなどという考えは、1㍉も無かった。
なんだか、騙したような気になったので、謝罪したい。
映画やIMAXの感想を期待して、読んで頂いたみなさま、すみませんでした。
ダンケルクをIMAX次世代レーダーとやらで見てきた
クリストファー・ノーラン監督の最新作「ダンケルク」が、公開された。
そして、監督の意図した通りの映像が楽しめるIMAX 次世代レーダーなるものが、なんと日本で唯一、大阪エキスポシティの109シネマズにしかないのだそうで。
エキスポシティのある吹田市はすぐお隣なので、公開初日に行ってきました。
通常の映画よりお高いですが、大阪で映画を見るのはこれで最後と言う事もあり、少し奮発。
でも、その価値ありといった感じで、スクリーンが壁の上から下まで、全面なんです。
通常の映画館で設置されてる前方のブロックは無く(デカすぎて見られない)、席数は少し少なめ。勾配も急な気がしました。
音響も凄いらしいです(よくわかってない)。
まあでも、普通の映画館で見るより、劇中に入り込んでる感覚が多かったです。
視界の端で、他のお客さんがちょっと動いたり物音立てたりしても、気づかないというか。
何より、監督が意図した画角で見られるというのは良いです。というか、極端に見られる場所が少ないとわかっていながら、IMAXで撮影したノーラン監督はどうなんだと。笑
構図とか余白ってかなり大事だと思いますからね。
劇場に実際のフィルム(監督のサイン入り)が飾られてましたが、やっぱひ65mmフィルムってデカイ。そして、すごく綺麗。(写真撮り忘れた)
作品説明
第二次世界大戦初期、フランスのダンケルクに追い詰められた連合軍兵士40万人の大撤退を描いた作品です。
追い詰められた兵士、小型の船で救出に向かう英国の民間人、英国空軍パイロットなど複数の視点で描かれ、時系列も入り乱れながら進んでいくノーラン監督お得意(?)の手法です。
もちろん、その大撤退自体は実話で、実際のダンケルクを使って撮影されています。
感想
ネタバレはしないので未見の方もご安心ください。
映像と音による臨場感はすごかったです。
少しの行動が、死に直結する恐怖。命からがら危機を脱しても、その先にはまた別の危機がある。緊張と不安でかなり力が入ってしまいました。
けれど、これを映画として評価しろと言われると、僕には出来ません。
そもそも、戦争映画というものを好き好んで見ないんですよね。
特に今作品のように、実話ベースの場合は。
"娯楽"に分類できないんです。
もはや、戦争と映画は対義語みたいな感覚すらあります。
今回は、イギリス人であるノーラン監督が作ったこともあって、連合軍主観で描かれますが、だからと言って連合軍が正しい事をしていたのかと言われると…。
敵軍の爆撃機を撃ち落として、快哉を叫ぶシーンでも、「でも、ドイツ人死んでるやん」って思ってしまうので。
じゃあ、なんで見に行ったんだよって言われると、ノーラン監督ならそこを超越した何かを見せてくれるかなと期待したからです。
でも、今回はダメでした。残念。
やっぱり、ノーラン監督にはSF要素強めの映画を撮ってほしい!次回作に期待!
曲の良さに気付く方法
どんなに好きなアーティストでも、「いまいちピンと来ないな」という曲はあるものです。
だいたいそういう曲は、その後聴きかえす事も極端に少なくなるもんですが、稀にそうじゃない曲もあります。
本当は自分の好みだったのに、一聴しただけではその魅力に気づけず、埋もれさせてしまう…。
非常に勿体無い。
そこで、曲の良さに気付くために、自分がしている方法をいくつか書いてみようと思います。
プロモーションビデオを見てみる
その曲が、シングルカットされている場合、PVを見てみる。
これはどういう事かと言うと、音の視覚化です。
耳で聴いただけでは気づかなかった、楽器の音やメロディーなどを目からの情報で得るというもの。
ただし、PVが音を視覚化している作品に限られるという欠点があります。
演奏シーンが全くないものなんかは、何回みようが情報を得られません。
でも、逆に視覚化にこだわったPVには、それ自体が作品として面白いというメリットもあります。
ライブ(映像)を見てみる
これはPVを観るのと同様、音の視覚化という面もありますが、音源からアレンジが施されている場合があるので、聴き取れなかった音やメロディーに気付けます。
ギターソロなどがアドリブで、音源と全く違う場合などはアレですが(それはそれで良い)、音源から電子音やストリングスなどの装飾が引き算されて、曲が丸出しになったりします。
また、実際にライブに足を運んで聴くと、馬鹿でかい音の迫力や、会場の熱気などもろもろが加味されて、補正がかかって好きになる場合もあります。笑
歌ってみる
曲は単調に聴こえるし、ヴォーカルは忙しなくて掴み所がないんだよなぁって時は、これに限ります。
実際に歌ってみると、好きなメロディーが潜んでいたり、韻を踏んでいる箇所に気付きます。
歌えるようになる程、聴くので当たり前といえば当たり前なんですけど。笑
実際に歌って好きになった曲の一つコチラ。
発音とか細かい事はキニシナイ。
お酒を呑みながら聴く
酔っ払って聴きます。
数十年前の海外では、イケないお薬をキメて音楽を作ったり聴いたりしてたそうですが(今でも?)、そんな恐ろしい事は出来ないので、お酒で擬似トリップしましょう←
寝るときに聴く
これもお酒と同じ様な事なんですが、眠くて朦朧としている時って、普段と音の聞こえ方が違うんですよ。
こちらも擬似トリップでしょうか。
楽器ができる方からしたら、そんな事しなくても色々聴きとれるわ!って感じでしょうが、ギター初心者のおっさんなりの聴こえ方を変える方法でした。
良ければ試してみてくださいな。
独身税でワンチャンあるか
ふふ。
かほく市ママ課のみなさんが提案された「独身税」、聞きました?
おもわず笑っちゃいましたよ(真顔)
いやー、でも、たくましいよ!
そして頼もしい!こんな人が親だったら、頼もしい!
我が家の生活水準を守るためなら、独身のやつらから搾取してやる!って、堂々と言えるんですもん。
ただ、嫁だったら嫌だなー。笑
オモテに堂々とこんな事言っちゃうくらいだから、さぞかし家庭内ではめちゃくちゃ言われるのでは?と勘ぐってしまう。笑
独身税納めるから、離婚してくれ!って思うかも。笑
「私たちは、家事に子育てに大変なのにその上、経済的にも苦しいの!だから、気ままに独身でいるあんたらはそのダブついた財布から、私たちにちょっと払うべきよ!」とか思ってるんだろうなぁ。
「独身者に負担をお願い出来れば」なんて、下手に出た物言いしても、本心がスッケスケなんだよなぁ〜。
こういうのに限って、逆の立場だったら、ガンギレでヒスるんだろうなぁ。
でも、もし独身税が実現したら、納税回避の為の偽装的結婚が増えるのでは?
つまり、結婚しないのではなく出来ない我々にもワンチャンあるのでは?!
婚活のプロフィールシートにも、「独身税回避」っていう項目にチェック入れるようになったりして。
実生活は独身時代と全く変わらず、既婚者という肩書きは手に入れられる。
冠婚葬祭やら、その他諸々で同伴が必要な場合は、応相談。
もしかしたら、良き友人の一人になれるかもしれないし、さらにさらにもしかしたら、そこから本物の愛を育むワンチャンあるぜ!
偽装結婚から育む愛、良いじゃないですか!
独身税ぜひ導入して頂きたい!(夢見がち)
蝶が幼虫時代の記憶をもっている事に見出す希望
ブックマークで、見つけたこの記事
とても不思議で、惹かれる話題だ
ドロドロに溶けた幼虫が、蝶になっても昔のことを覚えている
何か希望を感じる
肉体の喪失は、死で
記憶の喪失は、自己の喪失と同一で
失われた自己は、死んでいる
死が恐ろしいのは、自意識が喪失するからで
記憶の喪失も、ある種の死と言える
蝶が幼虫の記憶を喪失するならば、
変態によって、肉体と記憶を喪失した時点が、幼虫の死であり、蝶の生誕である
しかし、蝶が幼虫の記憶を喪失しないのなら、
肉体の喪失は、必ずしも死ではない
つまり、肉体と記憶(精神)が喪失したもしても、その先があるのではないかという、希望的観測
観測も証明もされていないが、存在が推測されているものはあるし
人間に見えるものが、全てではない
そういう事ではないか
すぴりちゅあるやで☆