【釣り】Apple直伝 中秋の名月をiphoneで撮る方法

素晴らしい記事を見つけたので、おすそ分け。




ツッコミ体質なので、脊髄反射で突っ込んだよね。
持ってねーし!
そんなの持ってたら、良いカメラ持っとるやろ!!
最近では、大手企業もこのくらいのユーモアを披露していく時代なんですね。
ちなみに今日は秋晴れで、とっても風が気持ち良かったので、ひきこもりの私もさすがに外出せざるを得なかったですね。ええ。
ツタヤにDVD借りに行ってきました。

(ツッコミ待ち)

読書の秋

突然ですが、今日は姉の誕生日です。
姉とは合いません。
仲が悪いわけではないのですが、考え方が違う部分がたくさんあるのです。
唯一の姉弟なので、万が一何かあった時は可能な限り力になるだろうとは思いますが、それは何というか、血を分けたものとしての最低限の行いの気がするからです。
もちろん、世の中にはとても仲の良い兄弟もいれば、殺してしまいたいと思うほど、仲の悪い兄弟もいるでしょう。
人それぞれです。

それで、読書の秋に僕がお勧めするのは、

幼年期の終り

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

ざっくり言うと、宇宙人が現れて人類を驚愕の未来へ導いていくお話です。
超ザックリですが、本当に面白いです。

印象深い箇所を抜粋します。
弟が姉に向けて書いた永遠の別れを告げる手紙です。
ひとつ注釈をつけるならば、後ろ向きな選択ではないです。

きみも充分に承知しているように、ぼくをここにつなぎ止めているものはそうたくさんはない。したがって、ぼくはなんら良心の呵責なしに去っていくことができる。
(中略)
ぼくがいなくなったところで、きみはたいして淋しがりはすまい。ぼくはそれをよく承知している。お互い率直になって、ぼくらが決して強い絆で結ばれた姉弟ではなかったことを認めようじゃないか。

そして、彼はのちに人類最後の使命を果たす事に成ります。
そこが、僕が一番好きな箇所で、この小説をお勧めしたい理由ではあるのですが、それは実際に読んでいただきたいと思います。

小川彩佳の発言について

先日、小川アナのこんな発言がtwitterとかで、少し話題になってました。

国連の演説を聞いていて、トランプ大統領と歩調も口調も一つにするような言葉が相次ぎましたけれども、そうした言葉を聞いていますと、逆に危機を煽っている、危機を招いてしまうのではないか。」

番組に出演した安倍首相に対する発言なんですが、首相は「危機を作ってるのは北朝鮮である」と答え、twitterでも「安倍さんのいう通りだ」とか「小川アナは北朝鮮を擁護してるのか」なんてつぶやきがありました。
確かに、北朝鮮が核開発やミサイル発射などをしなければ危機は起きないので、安倍首相を責めるのは筋違いだと思います。
でも、小川アナの発言を聞いて感じたことがあります。
それは、反安倍である報道ステーションの立場から発言したというよりは、小川アナの素直な気持ちだという事。
twitterやネットでは、小川アナに賛同する声は見つけられませんでしたが、国民の中に同じ事を思っている人は、意外に多いんじゃないかと感じました。
要するに、事をこれ以上、荒立てないで!という事ではないかと。
確かに経済制裁などで圧力をかけ続ければ、北朝鮮が暴挙に出てしまう可能性は高まる気はします。しかしながら、ここで北朝鮮を刺激しないようにことを荒立てずにいたとしても、結局は何をしでかすか分からないのです。

過去の戦争の経験からか、日本人は不穏なことにとても敏感で、ある種のアレルギー反応のようにすら感じます。
他者と揉めない為に、客観的にものごとを捉え、冷静でいることは大事です。
ただ、それが通用しない相手がいるということをイマイチ受け入れられない、あるいは考えられない人がたくさんいるように思います。

北朝鮮問題は、お互いにお互いの主張を理解できず、折れる事も出来ないでしょうから、もはや日本が望むような終わりを迎えることはないでしょう。
しかし、これを機に他者を批判することで思考停止することなく、自分と相手の意見の奥にある無意識の要求を掘り下げるようにしていければ、終わりの見えない批判合戦も少しはマシになるのではないでしょうか。

会社の経理が横領していた話

現在進行形の話なんですけどね。
びっくりです。
しかも、個人的なタイミングで言えば、最悪です。
と言うのも、横領が発覚したのが、僕が退職を申し出た翌日なんです。

以前、窓際族(通じるのか?)になったと言う事を書いたんですが、これを良い機会に田舎に帰ろうと決意しました。
幸か不幸か独身ですし、長男ですので高齢になった両親の今後も考えての選択でした。

それで、社長に退職を申し出ました。
ぼく「12/15付で退職させてください」
しゃちょう「そうきたか」
ぼく「?」

しばらく前に、有給の残り日数を確認したので、それとなく辞意については察せていたはずと、この時は不思議に思いました。

しゃちょう「あと数日待ってくれ」
ぼく「?」
しゃちょう「そして、どうしてもと言う場合は数ヶ月くらい延ばしてもらえんか?」
ぼく「のっぴきならない事情があり、納得できれば」

そして、数日後。
オーナーに呼ばれ、社長とともに本社へ。
その道中。

ぼく「オーナーに引き止められても、決意は変わりませんが」
しゃちょう「田舎に帰るからという理由も説明したが、どうしても必要なら頼んで残ってもらえと」
ぼく「数日待ってくれと言った真意はなんだったんです?」
しゃちょう「経理を辞めさせようと」
ぼく「経理を辞めさせても、僕は辞めますから、のちの業務のことを考えるとそれはやめたほうが良いですよ」
しゃちょう「会社の金ちょろまかしとんねん」
ぼく「ファッ?!」

思った以上にのっぴきならない事態でした。
うちは事務方が3人しかいない零細企業ではありますが、経理をクビにして、僕も辞めた場合、定年間近の事務課長ひとりになってしまいます。
いくら経営不振で暇とは言えど、さすがに課長ひとりでは無理なのです。
社長の当初の予定では、僕が辞めても経理と事務課長のふたりで、何とか補えるはずだったのですが、僕が辞職を申し出る前日に経理の不正を見つけてしまい、その後数日の間に、証拠を見つけ本人に問い詰めたところ、横領を認めたそうです。
さすがに、そのまま雇い続けるわけにも行かないので、僕に残ってもらいたいとの事。
もちろん、辞職を撤回することになりました。

その後、オーナーからは給料を言い値にしてやるから、好きな額を言えと言われ。苦笑
すごい(めちゃくちゃな)話なんですが、小心者の僕は丁重に断固お断りいたしました。
オーナーに会う前に、事情を聞いて辞職を撤回する事は決意済みでしたし、唯でさえ暇を持て余してる身に、これ以上のお給金など受け取れません。
現在の待遇で十分すぎるほどなのです。
転職サイトで、自分の経歴や資格と現在の給料を入力したら、「十分に評価されています。転職はしない方が良いかも。」と、さりげなくディスられた僕です。
それでも、オーナーは言い出すと聞かない人なので、昇給して頂きました。
何とも複雑な気分です。

プロ哲学者も生きづらかったのか

前回の記事から、続きといえば続きなのだけれど、(畏れ多くも)自分と同じような事を考えていたプロ哲学者たちは、生きづらくなかったのだろうか。
少し調べてみると、こんな記事があった。

この記事によると、
サルトルは同じく哲学者のボーヴォアールに、「契約結婚」を申し込んだそうだ。
一時的な恋愛に縛られるべきではないと、いけ好かないチャラ男みたいな事を言っているが、惚れた弱みかボーヴォアールは、嫉妬の心に悩まされながらも(健気だ…)、サルトルの死まで、その契約を続けたらしい。
ボーヴォアールも、変わり者だったという事かもしれない。

次に、キルケゴール
24歳の時に、15歳のレギーネに2年間にわたって、結婚を申し込んだそうだ。
現代の日本なら、いろいろアウトだ。
しかし、その執念の結果、婚約を結ぶ事が出来て、ハッピーエンド!
と、思いきやキルケゴールから、婚約破棄。
自分が果たして、愛する彼女を幸せにできるのかと悩みすぎたゆえの決断だったらしい。
(笑)
いや、まあ笑えないんですけど。気持ちはわかるし。

最後に、ニーチェ
哲学なんて何も知らない自分でも、名前くらいは知っているニーチェ

ニーチェは、現代において哲学史を塗り替えたといわれるドイツの大哲学者です。ところが、彼は恋愛に関しては、ヒットゼロ。一生独身で、最後は発狂して死にました。

一生独身で、最後は発狂して死にました。
一生独身で、最後は発狂して死にました。
一生独身で、最後は発狂して死にました。
パワーワード過ぎる(笑)

4時間過ごしただけの女性に求婚の手紙を出し、もちろん振られ、友人に「もう絶対結婚なんかしない!」と槇原敬之にインスピレーションを与えたかもしれない宣言をします。
その後ルーという女性に出会い、哲学について語ったりしながら過ごすうち、ルーを哲学の弟子かつ伴侶と考えるようになり、前言撤回!求婚し玉砕…。

「結婚なんてバカバカしい。過去の偉大な哲学者はみんな結婚なんてしていなかった!」という負け犬の遠吠えのような言葉を残しています

森見登美彦の小説に出てきそうな人である。笑

しかし、この3人をみると、やはり偉大な哲学者は世の中には迎合せず、生きづらかったのではないか。
そして、僕も同じような末路を辿るのか…恐ろしい。
しかも、自分の場合は後世に名を残すことも叶わず、ただ発狂して死ぬのだ。
発狂して死ぬのは嫌だなぁ。笑

どうも。野生の哲学者です。

先日、縁もゆかりもないビジネス雑誌を読んでたんですが、元気が出る哲学大全という特集を組んでました。

PRESIDENT (プレジデント) 2017年9/18号(元気が出る哲学大全)

PRESIDENT (プレジデント) 2017年9/18号(元気が出る哲学大全)

哲学の考え方(?)を、ビジネスに取り入れようみたいな感じでした。
まあ、その辺は関係ないので置いておくとして…
哲学って難しい事考えるイメージありますよね。
「我思うゆえに我あり」とか「永劫回帰」とか。
分かるようで分からないし、分かったところで何なんだっていう感じ。

そもそも、哲学というものが日常から縁遠いんですよね。
忙しない日々の生活の中で、普通は自己の存在をどうとか考えてる暇なんて無いわけで。
だから、哲学者という存在も、もはや都市伝説並み。
昔は、街へ出ればそこかしこで、哲学に勤しむ者たちを見かけたそうですよ。
こんな感じでね。

現代で、哲学者を見ようと思ったら、大学などで教授をしているかたわら、副業として哲学をしているプロ哲学者を訪ねないといけないわけなんですよ。
まあ、それは適当ですけど。
ありふれた存在でないことは確かです。

そして、野生の哲学者ごとき、考えすぎな僕たちには、生きづらい世の中です。
"(自)意識高い系"や"ネガティヴな人間"として、嘲笑され敬遠されるのです。
何故なのか。
それは、中二臭いからです。
でも、それはやむを得ないことだと思います。
偉大な哲学者たちが生きた時代は、人類を1つの生命としてみた時に、思春期にあたると思うんですよ。
まだ人類が青臭かった頃、多感なお年頃だったんですね。
現代、人類は成熟期あるいは老齢期と言ったところで、嫌悪と哀れみの眼差しを、未だ思春期の僕たちに向けるのです。

少しの罪悪感

前回、映画「ダンケルク」を鑑賞した話を書いたのだけれど、おそらく検索からなのか、アクセスが普段の10倍以上あった。

封切り直後だったし、日本で唯一ノーラン監督の意図した通りの状態で鑑賞できる、エキスポシティの劇場だった事もあるのだろう。

しかし、読んで頂いた方はご存知の通り、あの内容である。

批評や評価などではないし、ひょっとしたら感想にすらなっていない。

もちろん、書き出した時点で、自分ではあの着地点は見えていたし、その着地点が映画の感想からはズレているという自覚もあった。

ただ、アクセス数が増えるなどという考えは、1㍉も無かった。

なんだか、騙したような気になったので、謝罪したい。

映画やIMAXの感想を期待して、読んで頂いたみなさま、すみませんでした。